書とは、生命であり、百花繚乱です。
自分の生命=百花繚乱がそのまま書となります。
したがって、書道、即ち書の道とは、どこまでも生命の鍛錬です。
私の書道の師匠である、南房泰碩先生は、常日頃から「線は、強く太く。」と教えてこられました。
私なりに解釈すれば、「生命」そのものを言い表わしたものだったのではと思っています。
書を学び、練習することは、即ち、自己の生命を「強く太く」鍛え上げることになります。
いかなる変化があっても、変わらぬ普遍的な「生命」。
それを目指すのが、書道の根本的な意義なのではないでしょうか。
福島雄亮
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